「応援してね!」はそんなに軽い気持ちで使っていい言葉ではない。

「明日試合だから応援してね!」

よく聞く言葉です。

でもこの言葉には大きな責任が伴います。

 

僕は先日大きな違和感を感じました。

大学のサークルの合宿でのこと。

夜通し飲み続け、旅館の中で吐く人達。

挙げ句の果てにそれを片付けるのは旅館のスタッフさん。

僕は恥ずかしくてなりませんでした。同じサークルの人がハメを外して他人に迷惑をかける。

たとえ客という立場であったとしても。

そんな人たちがグループLINEでこう言うんです。

「明日から大会があります!みんなの応援が必要です!ぜひ来てください!」

 

これを見た僕。

ふざけんじゃねえええ!!

この人たちは応援されるに値しない人間。

他人に迷惑をかけるような人が応援してほしいなんて甘ったれてるにもほどがあります。

もちろん僕は応援には行きませんでした。

「応援してね!」は普段何もしていない人が気軽に使っていい言葉じゃない。

 

 

応援してもらうということ

応援してもらうということ。

これは何も当たり前のことではありません。

 

僕は高校時代野球部に所属していましたが、高校野球というのは他の部活とは比べものにならないほど注目されるスポーツです。

夏の大会ともなれば地区予選の1回戦から無条件で何百という人が応援に来てくれる。

全国大会に出ても応援してもらえない部活がある一方でです。

 

僕はこの事実を毎日のように監督から聞かされていました。

「応援される。そこには責任が伴う。」

 

他人を巻き込み、自分たちのために時間を使ってもらう。

これはものすごいことです。

僕にとってはプレッシャーでしかありませんでした。

そのくらい、他人の時間を自分のために使ってもらうということは大きなことなんです。

だから中途半端な自分ではだめ。

応援されるのにふさわしい人間である必要があるんです。

 

応援してもらうために

では応援してもらうために何をするのか。

答えは簡単。

「この人のためなら時間を割いてでも応援したい。」

そう思ってもらえる人になることです。

 

ただこの信頼は1日やそこらで得られるものではありません。

何ヶ月、何年とかけて築いていければいい。

 

僕は高校生の頃、常に学校のために何ができるのかを考えて行動していたつもりです。

朝早く来て掃除をする。

いつでも礼儀正しく振る舞う。

簡単なことでいいんです。

それが一番大切な時、きっと自分の力になって返って来ます。

「いつもあいつにはお世話になってるからな。今度は俺らがあいつの力になりたい。」

そんな風に思ってもらえたなら、もうそれは一生もの。

 

感謝の気持ちを忘れない

絶対にこれは忘れないでください。

応援してもらった。

結果はどうであれ、「ありがとう」だけはしっかり伝えてほしい。

たとえその声が震えていても。

応援した側としてはこの「応援ありがとう」より嬉しい言葉はありません。

ぜひ直接伝えてほしいです。

 

最後に

何をやるにしても、応援されるためにやっている訳ではないと思います。

「俺は応援なんかいらない」

そういう人もいると思います。

 

でも、声を枯らして自分のために応援してくれる。

勝ったら自分のことのように喜んでくれる。

負けても一緒に泣いてくれる。

「感動した」と言ってくれる。

 

そんな人たちと、喜び、悔しさ、全てを共有できる。

これ以上のことはないと思います。

そんな仲間ができたら、ぜひ応援してあげてほしい。

一番辛い時に、応援が一番力になるんです。

そしたら今度はあなたが応援してもらってください。

 

応援はする側もされる側も本当に気持ちがいいし、何より言葉にできない感動があります。

ぜひ応援される責任を理解した上で、応援の素晴らしさを知ってほしい。

 

 

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